赤から青に変わる間に

キスしない?キスしよう。

(最近の)私と二宮くん。

まず最初に言い訳をさせてほしいんだけれど、これを書いている今は深夜、或いは、人によっては早朝と言うかもしれない時間なんだよね。

これを読む人はもしかしたら朝の爽やかな時間帯に読むかもしれないし、お腹が空いたお昼時に読むかもしれないし、リラックスした夜に読むかもしれない。

先に謝っておくけれど、こんな胃もたれするようなポエムを読ませてしまってごめんなさい。

 

私は二宮担だった。なぜ「だった」のかと言うと、例の熱愛報道で降りたからだ(ちなみに二回目のやつね)。

グッズやDVD、CD、雑誌の切り抜きなどを全て、全て手放した。

降りるからには決別しなきゃいけないと思ったからだ。

嫌いにはなれなかった。むしろ大好きだったからこそ、決別しようと思った。

 

それから私は意図的に二宮くんのことを、嵐のことを、避けるようになった。

シャッフル再生で曲が流れてきたら飛ばす。

番組が始まればチャンネルを変える。

嫌いだからやったんじゃなくて、なんだかどうにも、バツが悪かったから。

嵐ファンでいたことは私の人生で一番長く続けてきたことだから、それをかなぐり捨てたのであれば、一切を断つことが筋なのではないかと思っていた。

 

けれど、偶然嵐の番組をちょっとだけ観て。

あー、嵐って、やっぱ面白いな、って。

 

なんか、わざわざ避けなくても、タイミングが合った時になんとなく観るくらいは許してくれるかなって。誰に許しを乞うてるのかわかんないけど。

いや、自分が一番許せなかったんだよな。

勝手に好きになってさ、勝手に離れてって、都合のいい時だけ観るなんて。

もちろん、そんなこと嵐には1ミリも伝わってないんだけど。

ただの自己満の世界なんだけど。

自己満の世界だからこそ、自分が許せなくて、苦しかったんだよな。うん。

 

歌番組とか観ても、

わー、二宮くんかっこいー。かわいー。

って、普通に思っちゃって。

 

ここからもしかしたらまた元に戻る勢いで好きになるかもしれないし、このままかもしれない。もしかしたらもしかしたら、嫌いになっちゃうかもしれない。

でももう、なんでもいいなあ。

どうなってもさ、受け入れるよ。

嵐ファンだった時は、いつかこの想いが、熱量がなくなってしまうんじゃないかと恐れていたけれど。

今はそれもない。

なんかふつーに、いち国民として(?)、国民的アイドル嵐を観ている感じ。

あー、嵐いいよねー。私も好きだよー。みたいな。

 

この一年、正直苦しかった。

観てはいけないんじゃないか。

聴いてはいけないんじゃないか。

でもさ、もう、ふつーに、観たい時は観るし、聴きたい時は聴く。

何の宣言だよ、勝手にしろって感じだけどw

まあまあ、おたくってそういう生き物じゃないですか。

なんかどっかで線引きだったり宣言だったりしないとね。気持ちが悪いんですよ。私の場合。

 

過去私はこの記事でこんな言葉を書いてて。

 

でも多分、降りて良かったというか、これで良かったんだなって思える日が来るであろうことも分かってる。悪い意味じゃなくてね。…なんて言えばいいんだろう、難しいな……。とにかく、この選択は間違いじゃなかったんだなぁって思える日はきっと来ると思う。穏やかな気持ちでね。

 

ああ、それが今だなぁって思った。

ていうか記事読みなおすまでこんなこと書いてたの忘れてて、予言者かよ!って思ったくらい。w

でもさ、本心だったんだね。

本当に、好きだったんだなぁ。

 

今日も二宮くんは、相変わらずとびきりかっこよくてとびきりキュートでとびきりセクシーでした。

ありがとう。

これからもちょっとだけ、覗き見させてください。

たいむ・とらべ・らばーずについて語りたい

はい。タイトルの通りですね。

今回は皆さんご存知KinKi Kids『M album』に収録されている『たいむ・とらべ・らばーず』について語りたいと思います。

え?存じ上げていない?喜べ諸君、この世の全ての知識は「知ってた」か「今知った」かしか無いのだよ。

 

まずこの『たいむ・とらべ・らばーず』、イントロから綺麗なんですよ。なんていうかシャラララン系のイントロ。冒頭で既に私の音楽偏差値がゼロであることが露呈してしまっているが、気にせず続けよう。

綺麗なイントロを聴かせて、やがて満を持してKinKi Kidsの歌声がやってくる。

 

澄みわたる夜空をつつむ Crystal

恋がきらめく季節

何度だって僕は誓うよ

星屑に永遠を

 

ウーーーーーーーーン(卒倒)。

ちょっと考えてもみてくださいよ。こんな綺麗な歌詞をね、あんな綺麗な声でね、歌い上げるわけですよ。するでしょ、卒倒。(謎の倒置法) するでしょ卒倒きてるぜ相当満を持してのご登場。(謎の韻踏み)

あんな綺麗な声で星屑に永遠を誓われたら、どんなスタンスのキンキ担も一旦リア恋せざるを得ないよね。なんならキンキに過去に永遠を誓われた記憶があるような気さえしてくるよね。わかる。

 

「何度だって誓うよ」と言ってくれている通り、ほんとに何度も曲中でこの歌詞が出てくるんですよね。有言実行。口だけじゃないオトコ、KinKi Kids

そしてとにかく歌詞が美しいんですよね、この曲。『恋がきらめく季節』ですよ。そんなことある?これたぶん冬のことを指してるんだと思うんですけど、もう冬になったらこの曲を思い出しちゃうよね。あと恋した時とかね。いままで『恋がきらめく季節』なんて思ったことないのに、あっという間に冬は恋がきらめく季節になってしまった。そう思わせる説得力が、KinKi Kidsには、ある。

 

KinKi Kidsの魅力って、いっぱいあるけど、そのうちのひとつが『説得力』だと思うんですよ。あの綺麗な歌声で歌われたらどんな歌詞でも説得力がバツグンじゃないですか?歌詞だけみたら「そんな恋愛経験ないなぁ……」と思ってもひとたびKinKi Kidsが歌えば絶大なる説得力。あー私にも分かるわその感情。私も過去にそんな恋愛経験がある気がしてきた。てかある(据わった目)

 

そんな『説得力』がキンキの魅力だと思うんです。そしてもちろん『たいむ・とらべ・らばーず』でもその魅力はいかんなく発揮されている。

綺麗な歌詞と、綺麗な歌声。

純度100%の『綺麗』を摂取できるので、この曲はかなりお気に入りです。私は寝る前に聴くのが好きかな。

 

これから先もKinKi Kidsは綺麗な歌を歌ってくれると思うし、カッコイイ歌も切ない歌も歌ってくれると思う。

 そしてきっとそのどれもが、確かな説得力を持って私たちの心を響かせるはず。これからも楽しみにしています。

二宮担を降りました

1~2分で書いた前回の記事を投稿したら、過去最多のアクセス数を記録した。

嬉しいやら、悲しいやら(笑)

 

例のニュースから数日経った今、いくらか落ち着きを取り戻している。

眠りが浅くなったり、そのせいで人生で生まれて初めて目の下にクマができたりなどしているが、まあおおよそ元気に過ごしている。

 

前回の記事は勢いに任せて書いてアップしてしまったので、改めてもう一度担降りブログを書こうと思う。

 

担降りブログ。

いずれ書くのだろうなと思っていたし、なんならちょっと書いてみたいとすら思っていた。

"いつか"書いてみたいと思ってはいたが、その"いつか"は予想以上に早く来てしまった。

 

まさかまだ彼女との関係が続いているとは思わなかった。ちらほら言っている人も見かけたが、なんか根拠もなく勝手に別れていると思っていた。

ツーショットはもうさすがに。決定事項でしょう。

今後のことまでうっすらと、いやだいぶハッキリと見えてしまっている。

ここまできたらもう、このまま突き進もうが別れようがどっちでもいい。(私はね)

「アイドルだって人間なんだから」とか「嫉妬か?」とかの意見に長々と反論する元気もない。というかそれは多くの人がやってくれてるからできればそっちを見てくれ。

 

例のニュースが出てから5日以内で担降り宣言をし、友人(ジャニヲタ)に伝え、スマホの画像フォルダをPCに移し、切り抜きをゴミ袋にまとめ、グッズの買取申し込みまでした。怒涛の数日間だった。あ、あとSNSのIDも変えたしこのブログのタイトルとかも変えた。(それらも二宮くん絡みだったので…)

 

友人(櫻井ファンと大野ファン)は2人ともずっと「(私)ちゃんはニノ以外ありえないよね」と言ってくれてたのに、私が降りたことを伝えたら「いいと思う」「そりゃあ降りるわ」と言ってくれた。なんか悲しいね。同じ嵐ファンである2人にそんなことを言わせるのが。

 

もうまるで嫌いになったかのような行動っぷりだが、別に嫌いにはなっていない。

むしろ、大好きだった頃の思い出を頭の中で反芻している。

 

やっぱり、コンサートの時の記憶は特別なもので。

嵐が出てくる前の会場の、みんなざわざわしている感じが好きだった。

コンサート開始数分前にちらほらと立ちだして、どこからともなく嵐コールが聞こえてきて、みんなで一丸となって嵐コールをするのが好きだった。

裏から嵐の円陣の声が聞こえて、アリーナ席の人たちがキャーッ!って歓声を上げるのが好きだった。

オープニング映像が始まって、一旦緊張が解けて、リラックスしながら会場のみんなでオープニング映像を観て、カウントダウンが始まってまたドキドキさせられるのが好きだった。

カウントが0になって、嵐が降りてきて、または上がってきて、会場が悲鳴の渦になって、それを浴びながら歌い出すのが好きだった。

 

私は初めての現場が国立で、初めての現場なのに二宮くんからファンサ貰って、その日の帰りはよろけながら、友人と支え合いながら最寄り駅まで歩いて行ったのを覚えている。

1回目のニュース(七夕事変)が出た後の現場にも行ったけど、初めてのアリーナ席で、今までで一番近くで観る二宮くんは変わらずキラキラしていた。

ドキドキした。かわいかった。かっこよかった。

好きすぎて死んでしまいそうだった。

確かにあの瞬間の二宮くんは、世界一かっこよくて、かわいくて、私の理想のアイドルだった。

あの瞬間の二宮くんが、世界でいちばん大好きだったこと。

それは今でも変わらないよ。

 

好きだったよ。大好きだったよ。

コンサートは、今まで生きてきた中で一番ドキドキして、一番幸せな空間だった。

でももう、あそこには行けないのだろう。

行けたとしても、あの頃と同じ気持ちではいられないのだろう。

そう思っちゃったら、もう、降りるしかないよね。

 

でも多分、降りて良かったというか、これで良かったんだなって思える日が来るであろうことも分かってる。悪い意味じゃなくてね。…なんて言えばいいんだろう、難しいな……。とにかく、この選択は間違いじゃなかったんだなぁって思える日はきっと来ると思う。穏やかな気持ちでね。

 

本当に、本当に好きだったよ。

一番だった。ずっと一番大好きだったよ。

 

色々言ってしまったけれど、

決して嫌いになったからではなくて、

あなたに気持ちが戻ることが、

そしてまた傷つくことが怖いから、

あなたのことは出来る限り避けます。

 

9年間という長い青春をありがとう。

まあ、あっという間だったけどね。

 

さようなら、二宮くん。

嵐に未練はあるけれど、

あなたに未練はありません。

 

 

 

私は、二宮和也から降りました。

二宮担を降ります

前回の記事で担降りを匂わせるようなことを書いたが、まさかこんなに早くXデーが来るとは。

 

もともと人の担降りブログを読むのが好きだった。

好きと言えば語弊があるかもしれないが、好きだった。

もしも私が担降りブログを書くことがあるとしたら、その時は私も長文を書き連ねるんだろうな、などと空想して。

 

でももういいです。今は彼に対して長文を書く時間が惜しい。

 

私は、二宮和也から降ります。

いままでありがとう二宮くん。大好きだったよ。

 

嵐と私

私は嵐ファンで二宮担である。

だから嵐の番組は観ている。

ただ、私は事務所担気味でもあり、普通に他Gの番組も観る。

KinKi Kidsのブンブブーン』はキンキらしいゆるさがなんともクセになるし、『関ジャニ∞のジャニ勉』はエイトらしいトークの面白さが好きだ。

 

さて、嵐の番組はどうだろう。

嵐全員で出演している番組は今は『VS嵐』、『嵐にしやがれ』の2つである。

VS嵐はゲストチームとゲームで対決をする番組で、嵐にしやがれは…嵐にしやがれは何だ?何と説明すればいい?とりあえずゲストを招いて食べ物を賭けて早押しクイズをしたり、嵐メンバーがそれぞれ持っているコーナーのVTRを観たりする番組だ。

 

個人的には、私はこの2つの番組では「嵐らしさ」が存分に発揮されていないように思う。

 

先程も述べた通り、ブンブブーンはキンキらしいゆるさが垣間(というかほぼ全編通して)見えて嬉しい。ジャニ勉もゲストのトークを活かしつつ7人の個性がそれぞれ出ているように思う。あと『関ジャム 完全燃SHOW』は今や一番面白い音楽番組なのではなかろうか。この番組を通して今まで知らなかった音楽の知識を身に着けたり、今まで知らなかったアーティストの楽曲を聴いてみたりした人が多々いるはずだ。かくいう私もその内のひとりである。あと、この番組を観てから"音楽やってみようかな"という気持ちになった人もいると思う。大げさな話ではなく。この番組もエイトがずっとバンド活動を続けてきたからこそ出来た番組だ。

 

では、私の思う「嵐らしさ」とは何か。

それはずばり、「わちゃわちゃ感」である。

おそらく進行とは関係ないであろう話をしている時とか、誰かが変なことを言って誰かがツッコんでいる時とか。

クラスのイケてる男子たちの会話をこっそり聞いているような、あの感じ。

嵐が嵐だけで楽しんでいる、あの瞬間。

そういった「わちゃわちゃ感」が嵐らしさだと思う。

 

嵐にしやがれ』ではおそらく概ね台本通りに番組が進んでいるだろうし、『VS嵐』ではゲームがメインなため、トークをすることがあまりない。

だから、正直言ってこの2番組内では、私の求める「嵐のわちゃわちゃ感」は無いに等しい。

 

昔の番組で言えば、『嵐の宿題くん』、『ひみつの嵐ちゃん!』が私の求めるそれに当たる。

特に『嵐の宿題くん』はファンからの根強い人気を誇っていて、未だに復活を望んでいる人までいるほどだ。

嵐の宿題くん』は2010年、『ひみつの嵐ちゃん!』は2013年に番組が終了している。

私の体感だと、「嵐=わちゃわちゃ」の図式が出来上がって、それが世間で浸透していたのはだいたい2009~2012年頃だったように思う。ちょうどこの2番組が放送されていた頃だ。

 

そう、私は、「あの頃の嵐」を"2018年になっても"、"未だに"求め続けているのである。

考えてみればこれはけっこうエグいことではないだろうか?

今の彼らを見ずに、昔を懐かしがる。

"昔のようなあなたたちを観たい"と願う。

聴くのだって昔の曲ばっかりだ。

 

嵐は2019年で20周年を迎える。

デビューしてもうすぐ20周年になりそうなグループだが、未だに進化し続けている。

昔のようにならないのは当然だ。

第一、人として考えてみても30代の人間が20代の頃のように振る舞うはずがない。

なのに私だけが、"あの頃のまま"で止まっている。

 

嵐は私を置いてけぼりになんかしていない。

私が、嵐についていっていないだけだ。

他Gの番組を観ては、「嵐も昔こんな感じだったな」とか「嵐もまたこんな番組やらないかな」とかを考えてしまっている。

 

でも"あの頃の嵐"はもういない。

 

私は今、貯金を切り崩して生活するかのように、あの頃貯めた「好き」を切り崩して嵐を観ているんじゃないだろうか。